後悔しないための子育てブログ

後から「しまった!」のない育児をしたい

才能がある子供に関する間違い#3

才能がある子供に関する間違い、について書いている。

過去二回の記事で述べた「間違い」は、1.才能がある子供は何でもよくできる、2.学問の才能と芸術の才能は違う、3.才能のある子供は知能指数が高い、4.才能は先天的なもの、才能は環境で作られるもの、5.親の熱意が子供をダメにする、の5つだ(すべてに誤りがある)。

引き続き、才能がある子供に関する間違い、について書く。

※E.ウィナー教授の見方に従い述べる。

目次

才能のある子供は社会適応性にすぐれる

社会適応性にすぐれる子供たち

才能のある子供は、社会適応性にもすぐれる、という見方がある。

知能テストで有名な、ターマンはこう述べている。

講演で、才能ある子供が学力のみならず「体格、健康、社会適応性においても一般の子供にまさり、性格テストで測定される道徳性においても格段にすぐれている」と述べている。
出典:才能を開花させる子供たち p.20

才能ある子供が体格、健康にすぐれる、というのは、(親がしっかりしており)幼少期からバランスの良い栄養の摂取をし、「外遊び」などもしっかり行ったから、ということだろうか…

スポーツなどでは、体格の優れた子供がより多くチャンスをもらうことで、もともと持っていた才能を磨くことができる、ということはあるだろう。その結果、才能のある子供はより体格や健康に優れるようになる、ということになるのかもしれない。※ただし、ターマンの根拠は不明。

できる子供が集団をリードする

できる子供がリーダーになる、ということはよくある。

社会適応性については、体格がすぐれ、頭の回転の早い子供が集団をリードする、ということはよくあると思う。また、小学校の高学年になると、成績の良い子供がほかの子供からリスペクトされる、ということもあるだろう(そのタイプの子供が、学級委員長になることはよくあることだ)。

※なので、才能のある子どもは、社会適応性に優れる、と言えるのかもしれない。

スポンサーリンク
 

 

社会適応性にすぐれるわけではない

ただし、ウィナー教授の見方は違う。

才能ある子供は運よく自分と似た仲間に恵まれないかぎり、孤立して悩んでいることが多い。「社会適応性にすぐれた英才児」という像が当てはまるのは、ほどほどの才能の子供だけで、極端な並はずれた才能をもつ子供は、そうはいかない。
出典:才能を開花させる子供たち p.20

才能がある子供は、特異な才能を持つがゆえに、友だちから、いじめられたり、からかわれたりすることが多い、としている(これは、「異質なものを揶揄・排除する」という行動になる)。

天才と呼ばれたC君のこと

わたしが唯一才能のある子供だと思ったC君についてだ。

件のC君の場合は、たしかに独力でどんどん前に進んでいた。

 

小学校3年生ぐらいで、算数については5年生ぐらいの学力があったと思う。塾に通っていたとかそういうことではなく、すべて自分の興味に基づいて勉強した結果、自然にそうなっていたのだ。※彼にとっては、勉強が刺激的な遊びだったのだろう。

 

C君が小学校の高学年になると、本来、教師が説明すべきことでも、彼の方が詳しいので(?)、彼に説明させていたぐらいだ(笑)。
出典:才能がある子供の特徴

わたしたちが通っていた小学校には、陰湿ないじめのようなものが皆無だった。

なので、彼が同級生からいじめられたり、からかわれたりしたという記憶はない。ただし、「かなり変わった子供だな…」という共通の認識はあったと思う。何せC君は、子供同士で将棋を指したときに、相手が1手目を指した時点で、大真面目に投了するような子供だったのだ(笑)。

私を含め彼のまわりにいた子供たちは、彼がちょっと普通とは違うな…ということは感じていたが、だからといって、いじめたり、からかったりする、ということはなかった。才能ある子供が集団の中で孤立するかどうか、というのは、まわりの子供たちにもよるのではないかと思う。

※同級生に能力的に比肩する子供がおらず、その意味で孤立する、ということはあると思う。ただし、総合成績ではC君を上回る秀才はいた。なので、「得意分野において」という意味だ。

C君の社会適応性は並だったと思う。※特にすぐれていたわけではない。

天才数学者、グリゴリー・ペレルマン

社会適応性と聞くと、グリゴリー・ペレルマンのことを思い出す。

ペレルマンは、世紀の難問である「ポアンカレ予想」を解いた天才である。 学生時代から頭角を現し、16歳で国際数学オリンピックの金メダルをとっている。 その後も数学者として優れた業績を残すが、アウトプットには消極的であった。 ポアンカレ予想解決の業績により、フィールズ賞を受賞したが、本人のこだわりにより辞退している。 これだけの数学者にもかかわらず、母親の年金で暮らしているとされる。
出典:内向的な人はアウトプットを増やしたい

天才だが、母親の年金で暮らすペレルマンが、社会適応性にすぐれる、とは誰も思わないだろう。彼は、「極端に並はずれた才能をもつ子供は、そうはいかない」という例なのかもしれない。

子供は誰でも才能をもっている

これは、誤解を生みそうな話だ(笑)。

どの子供にも自己比ですぐれた部分がある、という意味であれば、間違いではない。

ウィナー教授が言いたいのは、どの子供にも以下の条件をすべて満たす分野がある、

1.著しく発達が早い 
2.独習する 
3.習得意欲が強い

という考え方が間違いだ、ということだろう。

もし、どの子供にもそのような分野があれば、全部の子供が「才能がある子供」になってしまうだろう(天才だらけになる)。ただし、先にも述べたが、子供は誰でも才能をもっている、という意味が、どの子供にも自己比ですぐれた部分がある、という意味であれば、間違いではない。

※だが、それをもって「才能がある子供」とはならない。

才能がある子どもは大人物に成長する

才能がある子どもは大人物に成長する、という思い込みは間違いだ。

ウィナー教授によると、傑出した創造者になれるのは、ごく一部だそうだ。

とりわけ天才児と呼ばれるような子供の大半が途中で燃え尽きてしまったり、進路を変更したりしているし、大いに成功したとみえる人でも本当に創造的な仕事は何もしていないことがある。
出典:才能を開花させる子供たち p.20

それはそうだろうな…と思う。

人生で大成するための変数は、才能だけではなく、ほかにもたくさんあるからだ。

たとえば、前回の記事でも書いたが、エジソンは、1%のひらめきと99%の努力が大事だと述べている。この言葉には、努力だけでは不十分だよ、という意味が込められているが、無論才能だけでも不十分なのだ。※才能のある人物が結果を残せない…ということは、よくある話だ。

才能に加え、地道に努力できなければ、チャンスを掴むことができないのだ。

才能がある子供に関する間違いシリーズ