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後悔しないための子育てブログ

後から「しまった!」のない育児をしたい

国語ができない理由6つ

国語ができない…と悩む子供がいる。

子供自身はそれほどではないが、親が悩んでいる…というケースもあるだろう。国語のむずかしいところは、国語の学力を合理的に上げる方法が、読書以外にないように見えることだ。実はそんな単純な話ではないのだが、まずは、国語ができない理由を把握&理解することが大事だ。

今回は、国語ができない理由について書いてみたい。

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 目次

 国語ができない子供は多い

国語ができない

国語ができない…と悩む子供とその親は多いと思う。

子供の家庭教師をしたときに、親御さんから「国語の成績を上げてほしい」と依頼されたことがある。国語力はすべての教科の基礎である、という考え方がある。たとえば、算数の文章問題にしても、問われていることをキチンと把握できなければ、問題を解く力があっても、勘違いして解けなくなってしまったり、(問題の把握までに)無駄に時間を消費する…ということがあるためだ。

このように、国語力が大事だと思うと、国語ができないと(そのことが)目立ってしまう。また、読書が好きで本をたくさん読んでいるのに、国語ができない…ということもある。親からすれば、普通の子供以上に本を読んでいるのに、わが子はなぜ国語ができないのか…となるだろう。

 才能やセンスの問題だと思う

国語ができないと、 国語の才能やセンスの問題ではないか…と考える。

実際、ほとんど勉強しなくても国語ができる…という子供がいるので、そういう子供をみると、国語は才能やセンスの問題かな…と思いそうになる(笑)。だが、国語に限ることではないが、そう思ってしまうと、才能やセンスのない自分が「努力しても無駄だよね」という気分になりやすい。

このネガティブな気持ちが、「できない子供」を作り上げてしまう。バフェットの言葉に「400馬力の車でレースに挑んでも100馬力分のスピードしか出せない人が多い。それよりも、200馬力の車の能力をフルに生かす方が良い結果が得られる」というものがある。もちろん才能やセンスに個人差はあるが、このような発想をもてるかどうかの方が、大事なのだ。

※考え方がボトルネックになり、国語ができなくなる。

 勉強の仕方がわからない

国語の勉強の仕方がわからないから、国語ができない。

国語のできない子供は「才能やセンスの問題だよね」、「努力しても無駄だよね」という考え方になり、国語の学力を伸ばす余地があるにもかかわらず、さっさとあきらめてしまう。なぜ、「才能やセンスの問題」だと思うのかといえば、上で述べた理由に加え、「勉強の仕方がわからない」ということがある。もちろん、ほかの教科でもなくはないが、国語の場合は特にそれがあるのだ。

国語には、算数とは違い唯一無二の答えがなくあいまいだ…という印象がある。算数が得意な子供であれば、「それが嫌だ」と思うかもしれない。だが、国語の試験問題は、(答えが複数あると困るため)あいまいさを排除した作りになっている。なので、算数的なアプローチでも、問題を解くことができる。このことに自ら気づくことができるかどうかが、ポイントになるだろう。

 読書をしていない

国語の学力と読書には、相関がある。

国語がよくできる子供は本を読むし、そうでない子供は本を読まない傾向にある。考えてみればあたり前の話で、本を読めば、語彙や知識が豊富になり、本の内容について考えたり、何かを感じたり、行動につなげてみたり…という作業が自然に発生する。読書を通じて、(非日常的な)情報を得て、その情報の処理をする…という作業をすることになるので、自然に国語の力が上がるのだ。

読書はスポーツでいえば、基礎体力のトレーニングにあたる。このトレーニングがおろそかになると、その上に何かを積み上げても、全体としてのパフォーマンスはなかなか上がらないのだ。

 読書のやり方が悪い

読書のやり方が悪いと、国語の学力につながらない。

脳波には「シータ波」というものがある。読書でも勉強でも、この海馬から出るシータ波を出しながら行う…ということが、おそらくとても大事だ。ではどうすればシータ波が出るのか…だが、興味を持って何かの行動をする必要がある。読書でいえば、自分が興味のある本を読む、ということだ。仕方なく義務的に読書をする場合や、興味のない本を読むときには、このシータ波は出ない。

学生時代に宿題で読書を課されることがあったが、どんな本を読んだかも覚えていないし、内容も身についていない。自分で能動的に読んだ本は、昔のことでも未だに覚えている。この違いだ。

 説明的な文章を読んでいない

説明的な文章を読んでいない、ということもある。

以前、勉強は苦手だけれど、国語だけは抜群にできた中学生の話を紹介したことがある。この生徒は、サッカーが好きで、サッカーの専門雑誌を隅から隅まで読んでいたそうだ。同誌は大人が読む雑誌なので、大人が普通に読むレベルの説明的な文章で構成されている。その生徒の場合は、(中学生ながら)そういう文章を普段から読んでいたため、国語の成績が抜群に良かったのだろう。

時系列で話が進んでいく物語を読むこともいいのだが、(国語の学力を考えるなら)論理的な「説明的な文章」も読む必要がある。身近なところでは、新聞の社説などがそれにあたるだろうか。

※ただし、社説を義務的に読んでも意味は薄い(笑)。

 物事に対する関心が薄い

国語ができない子供は、物事に対する関心が薄い。

関心が薄いから、読書をしないとか、読書をしても、シータ波が出るような読書ができない…ということになる。以前、大器晩成の偉人は、物事に対する関心や好奇心が人一倍強い、と書いたが、この話と通じることがある。いろいろなことに関心を持ち、アンテナを張っておけば、そのアンテナでキャッチしたものを取り込み、それについて考える…ということができる(これが大事)。

国語の試験では、ある用意された文章があり、それについて答える…というパターンが普通だ。その文章のテーマについて精通していれば、当然有利になる。初見の文章でも、有利になるのだ。

※「あのテーマか」と、気持ちに余裕が出るはずだ。

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 まとめ

今回は、国語ができない理由について書いてみた。

今回の記事で書いたのは、1)才能やセンスの問題だと思う、2)勉強の仕方がわからない、3)読書をしていない、4)読書のやり方が悪い、5)説明的な文章を読んでいない、6)物事に対する関心が薄い、の6つだ。国語の学力を上げるために読書は有効だが、そう単純な話でもないということがわかる。間違った読書をしてしまうと、国語の学力にはなかなかつながらないだろう。

※もちろん、読書だけが国語の学力を上げる方法ではない。

今回の記事:「国語ができない理由6つ」