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子供を比較してしまう…比べてはいけない

自分の子供を他人の子供と比べてしまうことがあると思う。

そして、比べた結果を自慢という形で口にするママもいるようだ。

その気持ちはわからなくもないが、そのことがマイナスの行為であることは明白だ。口にすることは当然ダメだが、口にせずとも比較はしない方がいいだろう。比較するのであれば、現在の立ち位置を客観的に評価する、という目的のもとで比較すべきだ。

今回は、子供を比べてはいけないというテーマで記事を書いてみたい。

目次

比べてはいけない理由

比べられる

誰かと比較されて、嫌な気持ちになったことがないだろうか。

大人になって誰かに比較されることはないと思うが、子供時代には比較されることがあるものだ。もちろん、「比較してはいけない」ということがわかっている親であれば比較はしないが、そうでない親の場合は、比較をして子供の伸びの芽を摘んでしまう、潰してしまう…ということがある。

※機微をよくわかっていない教師に比較されることもあるだろう。

嫌な気持ちになる

子供は比較されディスられると、嫌な気持ちになる。

親は自分を認めていない、自分はダメな奴だと思ってしまう。

大人でもそうだが、自己肯定感を失うと、まずロクなことにならない。また、親が比較すると、子供も比較するようになる。優越感を持ちやすく、劣等感も持ちやすい…という子になるのだ。

※心が病んだ嫌な奴になってしまう。

子供が伸びなくなる

誰かと比較されると、子供は伸びなくなる。

ひとつは、今述べたように自己肯定感を失ったり、優越感・劣等感を持ちやすくなってしまうためだ。

こういう「心が病んだ嫌な奴」になってしまうと、まわりから疎外されるようになる。徐々にまわりから浮き上がり、仲のいい友達もできず「学校が楽しくない」という状態になってしまう。

また、才能のある場所というのは人により異なり、そこを見つけコツコツ育てていく…ということが大事になるが、この大切な作業ができなくなってしまうのだ。

 

 

 

比較する親の元では伸びない

比較する親というのは、子供のネガティブな面を拾い、ポジティブな面をスルーしがちだ。

したがって、ポジティブな面に日が当たらず、そこがなかなか伸びないのだ(親には子供のポジティブな面を見つけ伸ばす責任があるのだが…)。

※比較する親は、ネガティブな面を取り上げ、叱りがちになる。

自分もおかしくなる

人と比べる発想をしていると、自分もおかしくなる。

他者と比較することはある。自分や自分の子供を他者と比較することはあるだろう。

だがそれは、自分や子供の現在の立ち位置を客観的に確認する、という目的で行うものだ。ライバルに勝ち、優越感を感じたり、気分を良くするためにすることではない。そうすると、自分がおかしくなってしまう。

ライバルの一挙手一投足が気になり、○○という習い事を始めたと聞くと、自分の子供も始めてみたり、塾に通い出したと聞くと、自分の子供も同じ塾に通わせる。また、ライバルに勝てばうれしくなり、負ければイライラする。これは、自律性を失い他者に振り回されている…という状況だ。

※他者依存になっていることを、自分では気が付いていない状態だ。

人間関係が悪化する

人と比べる発想をしていると、人間関係が悪くなる。

自分の子供が他人の子供よりも優位であれば、自慢をしたくなるし、劣っていれば卑屈になってしまうためだ。たとえば、うちの子供はこんなことができた、あんなことができた、と自慢めいた話をしていると、「自慢が鼻につく」、「人的に問題があるのではないか…」と思われてしまうだろう。

 

 

 

自分に自信がないのか、自己肯定できていないのか、劣等感を補償するために自慢をしているのか、マウントしようとしているのか…と思われてしまうだろう。そう思われてしまうと、(相手からすれば)この人とは距離を置いた方がいい…ということになり、人間関係が悪くなる。

兄弟間でも比較しない

兄弟姉妹間でも、比較をしないようにしたい。

お兄ちゃんだから、お姉ちゃんだから…と言って、上の子に我慢を強いたり、兄弟で比較し、「どうしてあなたはできないの?」と言ってしまうことがあるかもしれない。また、下の子だけ(上の子だけ)に何かを買ってあげる、ということがあるかもしれない。これらの行為は、はっきりNGだ。

まず、兄弟でも持ち味や才能、性格が違うのだから、比べても仕方がないし比べる必要もない。同じ習い事を同じ年齢からさせても、上達の度合いは違うし、達する位置も違ってくるのは当然のことだ。

そこで、「どうしてあなたはできないの」と言っても、傷つけるだけで意味のないことだ

※奮起を促そうという意図があっても、裏目に出るだろう。

兄弟とは平等に接する

兄弟姉妹とは、平等に接したい。

上で述べたように、お兄ちゃんだから、お姉ちゃんだから…という発言はNGにしたい。おやつを分けるときも、差を付けず平等に分けたい。ここで、親が否応なしに差をつけると、差をつけられた子供は不満を感じる。そして、どこかで意趣返しをしたり…という好ましくない反作用が生まれる。

親は子供たちをそれぞれの名前で呼んだらいいと思う。「お兄ちゃん」、「お姉ちゃん」ということではなく、「○○ちゃん」と名前で呼べばいいのだ。そうすると、下の子も「お兄ちゃん・お姉ちゃん」ではなく、「○○ちゃん」と名前で呼ぶようになるだろう。「お兄ちゃん・お姉ちゃん」と呼ぶと、どうしても上下関係ができてしまう。それよりも、フラットな関係の方がいいと思うのだ。

※その方が、お互いがリスペクトし合える関係になると思う。

過去と比較する

比べたければ、子供の過去と比較することだ。

自分の過去との比較であれば、嫌な気持ちになったり、自己肯定感を失うということはない。また、劣等感や優越感を持ちやすくなるということもない。

 

 

 

先に書いたが、才能を伸ばすためには、そこを見つけコツコツ育てていくことが大事になるが、過去との比較でそれができるようになる。

外の動きに惑わされることなく、内に集中できるためだ。

自分が有能感を感じる分野で、自律性を持ちながらコツコツ努力を積み重ねれば、必ず結果は出る。そのためには、他人がどうのこうのではなく、内に集中することが大事だ。自分で伸びる子供は、他人のことはほとんど気にしないものだ(自分の成長は気にする)。

まとめ

今回は、「子供を比べてはいけない」というテーマで記事を書いてみた。

自分の子供を他人の子供と比較する気持ちはわかるが、「現在の立ち位置を客観的に評価する」という目的以外で比較しない方がいい。

比較して言葉に出すと、子供は「心が病んだ嫌な奴」になってしまう。また、子供はせっかくの自分の才能を活かすことができず、伸び悩んでしまうことになる。

他人の子供との比較だけではなく、兄弟姉妹間の比較もしない方がいい。

比較してどちらかをディスると、必ず好ましくない反作用が生まれるだろう。そして、平等に接することを心がけるべきだ。これも比較と同じで、不平等が発生すると、好ましくない反作用を生み出すことになる。※杓子定規に平等にする、という意味ではない。念のため。

 

 

 

今回の記事:「子供を比較してしまう…比べてはいけない」