天才だからオール5になる…才能がある子供に関する間違い
あなたには、才能に対する思い込み、というものがないだろうか?
たとえば、よくあるのが、「才能がある子供は何でもよくできる」というものだ。
たとえば、Aくんが学年で1番であり、オール5をとっているらしい…と聞くと、「才能のある子供は違うな…」、「天才だからオール5を取ることができる」、「才能のないうちの子では、とても敵わない…」と思うかもしれない。しかし、それは、本当に才能がなせる業だろうか?
今回は、才能がある子供に関する間違い、について書いてみたい。
※ハーバードで発達心理学の博士号を取得した E.ウィナー教授の見方に従う。
目次
才能がある子供は何でもよくできる
才能がある子供は何でもよくできる、という思い込みがある。
学業で考えると、たしかに、「何でもよくできる」という子供がいる。オール5を取るような子供のことだ。だが、オール5をとる=才能がある、ということにはならない。この話は個人的にもよくわかる。
才能がなくてもオール5は可能
わたしのことで恐縮だが、学生時代にオール5をとっていた時期がある。
なぜ、オール5をとれていたのか?と考えると、1)高いモチベーションがあった、2)授業に集中していた、3)与えられた課題(宿題)をしっかりこなしていた、これらに加えて、必要なときは予習もやっていた、ということに尽きる。これだけの話で、才能とは直接関係がないのだ。
※「5」をとるための、最適化ができていた、というだけの話だ。
オール5に才能は必要ない
前回の記事で述べたように、才能のある子供の条件は、1)著しく発達が早い、2)独習する、3)習得意欲が強い、の3つだ。わたしの場合は、 著しく発達が早いわけではなかったし、独習はしていたが、「自分でどんどん先に進む」ということは、なかった。
※例外的に、ある科目についてはあった。
また、 高いモチベーションがあった、と書いたが、それは成績や順位に対するモチベーションであり、「習得意欲」と呼べるようなものではなかった。つまり、 わたしは才能のある子供の条件をほとんど満たしていなかったのだ。※残念ながら、才能はない、ということだ(笑)。
逆にいえば、才能がなくてもオール5はとれる。5を取るための最適化をすることができれば、とれる。なので、子供の成績が悪いのは、才能がないからだ…などと考える必要はないのだ。
偏りが才能のしるしになる
ウィナー教授はこう述べている。
能力の偏りは、その子供が特定の分野に対して素質をもっているという明瞭なしるしである。彼らは全面的に才能があって、たまたま数学か国語が気に入ったというわけではない。
出典:才能を開花させる子供たち p.18
つまり、「偏り」が才能のしるし、というわけだ。
1895年、スイスのチューリッヒ連邦工科大学を受験するも失敗。しかし数学と物理の点数が最高点だったがため、アーラウのギムナジウムに通うことを条件に、翌年度の入学資格を得られることになった。
出典:アルベルト・アインシュタイン - Wikipedia
アインシュタインは、一度受験に失敗している。
数学と物理に関しては、図抜けた成績を取っていたが、そのほかの学科が大きく(?)足を引っ張り、受験に失敗した、ということだろう。※オール5を取るタイプではなかった。
全分野で習得意欲が強い
得意な分野に対する、3)習得意欲が強い、ということが才能のある子供の条件だが、全分野に対し、習得意欲が強い、ということは考えられない。
人のリソースは限られているので、必然的にそうなるのだろうと思う。
※その方が合理的だからだ。すべての方向に伸びようとすると、物理的に高みに達することができなくなる(一流のサッカー選手が、一流の野球選手であることはない)。
※ここでいう「高みに到達する」とは、これまでのパラダイムを変えてしまうような業績を残すゾーンに達する、ということだ。スポーツでいえば、日本新記録を出すレベルに達する、ということだ。学校の成績でオール5を取ったり、総合成績で1番になることではない。
学問の才能と芸術の才能は別物である
学問の才能と芸術の才能は別物だ、と思うかもしれない。
自分自身の認識はどうか?と考えてみたが、もしかすると、学問の才能と、音楽、スポーツ、そのほかの芸術の才能を、どこかで区別しているかもしれない。具体的にどう区別しているのか?と問われると、答えに窮するのだが、なんとなく区別しているかもしれないのだ。
※正直、よくわからない(笑)。
だが、才能のある子供の条件を振り返ればわかるが、学問であれ、音楽、スポーツ、そのほかの芸術であれ、分野が違うだけで、何ら変わるものではない。区別することが正当だ、という明確な理由がない。なので、学問の才能と芸術の才能は違う、という認識は誤りだろう。
才能のある子供は知能指数が高い
才能と知能指数には相関がある、と思いがちだ。
知能テストは主として数の技能という、狭い範囲の能力を測るものだ。美術や音楽のような学問とは異なる領域の才能に、知能指数が高いことが必要だという証拠はほとんどない。
出典:才能を開花させる子供たち p.19
ウィナー教授によると、美術や音楽のような分野では、「才能」と「知能指数」はあまり関係がないようだ(おそらく、スポーツも同様だろう)。※ただし、学問の分野についてはあると思う。
ただ、学問の分野についても、ある程度の知能指数を超えていれば、それ以上はあまり関係ない、という話を聞いたことがある。正確な数字は覚えていないが、たとえば、知能指数130の学者と160の学者の間には、業績に有意な差がない、というものだ。わたしもこの見方に賛成だ。
なので、自分の子供の知能指数が並だからといって、失望する必要はないのだ。
まとめ
今回は、才能がある子供に関する間違いについて書いてみた。
才能がある子供が何でもよくできる、天才だからオール5を取ることができる、というのは間違いだ。普通の子供でも、モチベーションを保ちながら、正しい努力を積み重ねれば、オール5を取ることは可能だ。
むしろ、偏りが才能のしるしになる。なので、苦手な科目もありオール5ではないが、5を取る科目については、「ずば抜けている…」という子供の方が、天才である可能性が高い。
学問の才能と芸術の才能を区別する明確な理由はない。どちらが優れていても、方向性が違うだけで、「天才だ」ということになるのだろう。根っこの部分では繋がっているのだ。
続きの記事:「才能がある子供(ギフテッド)に関する間違い#2」
今回の記事:「才能がある子供に関する間違い」