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才能と努力どちらが大事なのか?

自分の子供には才能がない…と感じたことがないだろうか。

子供が(学習で)簡単なことができなかったり、何度も同じ間違いを繰り返す姿を目の当たりにすると、「この子には、才能がないのかもしれない…」と思うことがあるかもしれない。

そして、才能がない…と思えば、努力しても無駄なのでは…と思うかもしれない。

今回は、才能と努力について書いてみたい。

目次

才能は関係ない

成功と才能は関係ない、という見方がある。

以下は、ハーバード大出身の心理学者のプレゼンだ。

ダックワース氏は、ハーバード大学を卒業後、コンサルティングファームマッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、教師になり、心理学を研究することになりました。そして成功するために必要な素養として、何事にも諦めずに長期間、忍耐強くやり抜く能力が大切だというgrit理論にたどり着きました。
出典:アンジェラ・リー・ダックワースの親子教育論

これは、grit 理論と呼ばれるそうだ。

Grit は、根性や気概とも訳すことができるが、ここでは「やり抜く力」としよう。

彼女によると、やり抜く力とは、長期目標に向けた情熱や忍耐力のことだそうだ。自分の将来(の利益)にこだわり、長期目標に向けた情熱や忍耐力を持ちながら、マラソンのように生きる人のことを、「やり抜く力を持つ人」と呼ぶことができるそうだ。※スタミナが必要になる。

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努力できる力も才能では?

才能と努力

やり抜く力も才能ではないか…と思う人がいるかもしれないが、やり抜く力と才能は、明確に区別できるそうだ。才能があっても、最後までやり抜けない人はたくさんいるそうで、才能とやり抜く力には比例関係がなく(もしくは関係がなく)、逆に反比例することもあるそうだ。

※粘り強く最後まで努力できる力は、才能ではないようだ。

このやり抜く力をどうすれば手にすることができるのか…だが、 学習する能力は固定されておらず、努力によって変えられると信じること、すなわち「成長思考」を持つことだそうだ。

才能ではなかった

才能だと思っていたが、実は才能ではなかった…という話がある。

わたしの話で大変恐縮だが、わたしはある科目が良くできた。

良くできる、ということ自体は、別にめずらしいことではない。いくらでも良くできる子供はいる。特別なのは、勉強をまったくしなくても、良くできた、ということだ。

※勉強をまったくしなくても、なぜか毎回テストで高得点を取ることができた。この科目については、小学校~高校まで勉強したという記憶がほとんどない。それでも、小学校~高校まで、毎回高得点を取り続けることができた。なので、この教科については、まったく苦労しなかった。

こういう状態だったので、この科目については「才能がある」と思っていた。

努力と感じていなかったにすぎない

しかし、今になってよく考えてみると、才能ではなかったように思う。

先に、「勉強をまったくしなくても、良くできた」、「勉強したという記憶がほとんどない」と書いたが、それは自分の認識にすぎず、客観的に評価すれば、勉強していたのだ。

その勉強は、自分では勉強と感じておらず、楽しみや趣味のようなものと捉えていたために、勉強したという意識がなかったのだ。※新しい教科書が配られたら、授業の進度とは関係なく早い段階で(楽しんで)読破していた。授業はつまらないと感じ、あまり聞いていなかったが(笑)。

やはり、努力していたから良くできた、ということなのだ。

子供は誰でも素質を持つ

子供は誰でも素質を持つ、という考え方がある。

たとえば、子供には誰でも音楽の素質がある。なので、育て方ひとつで、豊かな音楽性を発揮できる可能性がある…というものだ。そう考える人の中には、先天的な才能を軽視するか、否定する人もいる。※ただし、本当の意味で否定しているのかどうかは不明だ。

実際に、「育て方ひとつで、豊かな音楽性を発揮できる可能性がある」と考え、普通の子供に教育を実践し、すぐれた実績を残しているケースもあるようだ。※どうやら、わたしたちが考える以上に、子供には育て方でグッと伸びる素質(能力)があるようだ。

また、親を含む教育者サイドが、能力は先天的な才能ではなく努力の産物だ、と考えることにより、子供の能力を引き上げることができる可能性がある(先天的な才能だと思えば、親のあきらめも早くなる)。このことは、 ダックワースさんが言及した、「成長思考」と合致する。

※子供自身はもちろんだが、親も成長思考を持つことが大事だ。

1万時間でマスターになれる

1万時間取り組めば、誰でもプロになれる、という考え方がある。

この世の中、何か成果を出そうと思ったら大抵3年はかかります。それを代表するのが「石の上にも三年」という言葉だったり、「1万時間の法則」です。
1万時間の法則とは、何毎に置いてもプロレベルになるには大体1万時間かかるというもので、1万時間を3年で割ると一日約9時間という事になります。
仕事であれば就業8時間を集中的に過ごし、その上残業1時間をやりこんで何とか3年で一人前になれるといった所で、感覚としてあながち外れてはいないと思います。
出典:成功するために必要な「1万時間の法則」

※このことを、1万時間の法則という。

調査によれば、「練習をせずに天才的才能を発揮する人」も、「いくら練習をしても上達しない人」もいなかったそうだ。※モーツァルトも作曲に1万時間を費やした後に、本来の才能を発揮しはじめたそうだ。真の天才でも、普通の人と同じぐらい努力の時間を要する、ということだ。

また、

ぼくは、3歳の時から練習を始めています。3歳から7歳までは半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは365日中360日は激しい練習をやっています。だから、一週間のうちで友達と遊べる時間は5~6時間です 
出典:イチローの小学6年生のときの作文

イチローが練習に大変な時間を費やしたことは、有名な話だ。

不世出の天才といわれる、モーツアルトでもイチローでもそうであれば、「練習(努力)をせずに天才的才能を発揮する人」がいないであろうことは、そのとおりだろうな…と思う。

努力は必要である

才能の大きさにかかわらず、努力は必要だ。

エリクソンは、ピアノ、ヴァイオリン、チェス、ブリッジ、スポーツなどの達成レベルと、そのために行った「意図的練習」の純然たる量とが高い相関関係にあることを明らかにした。上達を目指して練習に練習を重ね(意図的練習)、多くの時間を使った人ほど高いレベルに到達していた。
出典:才能を開花させる子供たち p.169

才能にかかわらず、高いレベルに到達するためには、必ず努力が必要になるのだ。

才能と努力のどちらが大事なのか?というテーマで記事を書いたが、その答えはここでは留保したい(正確な答えは、誰にも出せないだろう)。それよりも大事なことがあるからだ。

成長思考を持つことが大事

それは、 ダックワースさんの言葉を借りれば、「成長思考」を持つことだ。

この「成長思考」は、本人だけではなく、親や教師も持つべきものだ

本人や指導者が、学習する能力は固定されておらず(先天的な才能によらず)、努力によって変えられると信じていれば、努力の価値を高く見積もることができる。

そうすれば、おのずと努力することに価値を感じ、努力するようになるものだ。

※才能の価値を高く見積もれば、努力を軽視するようになる。

結局、才能の有無にかかわらず、プロになるためには、同程度の努力が必要になるのだから、努力によって結果は変えられると信じて、努力の価値を高く見積もった方がいいのだ。

安易に才能がない…として、あきらめることは愚かなことなのだろう。

まとめ

今回は、才能と努力について書いてみた。

才能と努力の関係は、努力をすることにより才能を開花させる、というものだろう。なので、どんな天才であろうが、努力することは必要条件になる。

どの道努力が必要なのだから、「才能より努力に価値がある」と考えた方がいい。才能が小さければ、才能が開花しても大したことがないかもしれない(笑)。だがそれは結果論に近くて、努力する前からはっきり見えるものではない。

なので、これというものがあれば、「やり抜く力」を発揮する、ということがいいのだろう。もちろん、途中で違うと思えば、努力の対象を変えることはありだと思う。

今回の記事:「才能と努力どちらが大事なのか?」