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井上尚弥のお父さんの教育がすごい

井上尚弥というボクサーをご存じだろうか。

テニスの錦織、ゴルフの松山、体操の内村は知っているけれど、ボクシングの井上は知らない…という人が多いかもしれない。だが、ボクシングの井上が、彼らのように一般に知られるのは時間の問題だろう。それほどすごいアスリートなのだ。

この井上尚弥を育てたのが、井上真吾という井上尚弥のお父さんだ。

今回は、井上尚弥のお父さんの教育について書いてみたい。

目次

井上尚弥というアスリート

井上尚弥というボクサーは、とんでもない可能性を秘めた選手だ。

彼はボクシングという競技の枠を超えてスターになる可能性があるし、将来的には世界ボクシング殿堂入りするぐらいの選手になる可能性がある。それぐらいのすごい可能性を秘めた選手なのだ
出典:井上尚弥の強さの秘密

これまでの日本人ボクサーの常識を覆し、世界的なスターになる可能性すら秘めている。

高校時代は、高校生初のアマチュア7冠を達成し、プロ入り後は四戦目で日本タイトルを獲得。五戦目でOPBF東洋太平洋タイトルを獲得、六戦目で世界王者になり、八戦目で二階級制覇を達成している。それまで159戦してダウンをしたことのない王者から、4度もダウンを奪いKO勝ちするという「おまけ」までつけている。※漫画じみた、規格外の選手なのだ。

井上尚弥と井上真吾さんをイメージした絵

このモンスター井上尚弥を育てたのが、お父さんである井上真吾さんだ。

1971年に生まれた井上真吾さんは、中学卒業後、塗装業の世界に入り20歳で独立した、己の腕を信じてやってきた苦労人だ。このお父さんが、井上尚弥を育てたあげたのだ。

以前、「天分のある子供の親は意欲的だ」と書いたが、該当するだろう。真吾さんの優れた指導がなければ、井上尚弥の強さもなかっただろう。この井上真吾さんの教育について、以下書いてみたい。

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言い訳を禁止する

真吾さんは、6歳から尚弥に対しボクシングの指導を始めている。

その際、子供たちに対し、「でも」、「だって」などの言い訳を禁止している。

これは、「自分で選んだ道をまっとうさせるために必要なことだ」と考えてのことだ。また、「自分で下した決定は、自分で責任を持つ」ということを学ばせるための指導でもあった。

大人でも言い訳をする…ということがある。

でも・だって・どうせ…のセットで「3D」というそうです。
私は新人のときに「だって」という言葉を使って、上司に叱られたことがあります。でも・だって…は言い訳ですね。言い訳というのは、人に対していい印象を与えません。
出典:言葉選びを間違えてはいけない|3つのNG言葉

自分を守るために、つい言い訳をしたくなってしまうのだ。

言い訳をしてもいいことがない

だが、言い訳をしてもいいことはない。

相手やまわりに対し良い印象を与えず、(責任逃れをすることで)まわりからの信頼を失うことになり、(他責にすることで)ものごとに対する主体性も失ってしまうためだ。

6歳という早い段階で、子供に対し「言い訳はダメだ」とすることには、大きな意味があるのだろうと思う。なぜダメなのか、その意味まで理解することが好ましいが、少なくとも(その後の長い人生において)言い訳をすることによる不利益を被らなくてすむためだ。

子供には、言い訳の不利益について理解させたい。

親のかかわりがある

真吾さんは、子供たちに真剣にボクシングを教えている。

「中途半端にはやりたくない」という気持ちから、6歳であれば6歳にできる練習は何か…ということを考えて教えたそうだ。また、真吾さんは、小さいうちに正しい身体の使い方や技術を覚えるべきだ…という考えを持っており、尚弥に対しそういう指導をしてきたようだ。

正しい身体の使い方や技術を覚えることにはメリットがある。

覚えた技術を大会などの本番で試し成功することで、子供が達成感を得ることができるのだ。達成感を積み重ねることが自分の自信になったり、楽しみになって続ける動機になる…ということは普通にある。

また、ちょっとした成功でも、成功することは、努力が正しかった証明にもなるのだろうと思う。

子供とかかわりを持つ

以前の記事でこう書いた。

才能のある子供の家庭は、子供を管理する。※親のかかわりのことだ。
管理の度合いは、分野により異なる。音楽やスポーツなどの実技分野の場合、家庭による管理が最も厳しくなる。一方、芸術分野では管理がほとんどなく、学問分野はその中間になる
出典:天才児を育てる家庭環境とは#2

天分のある子供の親は、子供と強くかかわりを持つ(ある意味、管理する)。

井上家でも、お父さんによる強いかかわりがあったようだ。

5-3-2で指導する

真吾さんは、「5-3-2」で子供たちを育てたそうだ。

これは、5は普通に接し、3ほめ、2叱るという指導法だ。

叱るときは、全否定せず、侮辱せず、上から押さえつけるような言い方もせず、自分が言われたら納得する言い方で叱ったそうだ。子供と言えども他人格であり、自律性を尊重する、ということだ。

子供を自分の所有物のように考える親(怒鳴ったり殴ったりする親)には、批判的な姿勢を見せている。息子であっても、別人格であり、その人格を尊重すべきだ…という考え方を持っている。

ハートで育てる

かつて、エディ・タウンゼントという名トレーナーがいた。

リキジムに初めて来た時、先輩達が竹刀で選手を叩いて指導している光景を見て「リングの上で叩かれて、ジムに帰って来てまた叩かれるのですか?ワタシはハートのラブで選手を育てるネ」と力道山に進言して譲らず、エディの指導方法を認めさせた。
出典:エディ・タウンゼント - Wikipedia

彼は、体罰ではなく「ワタシはハートのラブで選手を育てるネ」と主張したそうだ。真吾さんもこの考え方に同調し、「ボクシングのトレーニングに竹刀はいらない」としている(ハートで育てる)。ほめるときは、いいところを見つけたら、その場ですぐにほめたそうだ。

無理強いはしない

真吾さんは、子供たちに対し「無理強い」をしていない。

尚弥の子供時代は、練習時に雑な部分が見えても、頭ごなしに怒鳴りつけたり、無理強いすることはなかったそうだ。その代わりに、ほめたり励ましたりして、気分をのせるようにしたそうだ。

真吾さんは、飴と鞭を使い分けた工夫に、子供たちがハマったと表現している。

何かをやり遂げようという意欲は、人から強制されて起きるものではなく、課題を乗り越えるチャンスを自分でみつけてこそ生じるものである。思い通りにやっていく自由を与えられない子供は、親の圧力から逃れられたとたんに何もしなくなってしまうことがある。
出典:才能を開花させる子供たち p.226

何かをやり遂げようという意欲は、人から強制されて起きるものではなく、課題を乗り越えるチャンスを自分でみつけてこそ生じるものである」ということを、理解されていたのであろう。もちろん、鞭の部分もあったのだろうが、子供の自律性はしっかりと尊重していたのだ。

まとめ

今回は、井上尚弥のお父さんの教育について書いてみた。

今回の記事で書いたのは、1)言い訳を禁止する、2)子供と真剣にかかわりを持つ、3)5-3-2で育てる、4)ハートで育てる、5)無理強いはしない、の5つになる。

納得できることばかりだ。一般の家庭でも、参考になる部分があるのではないか。

何かをやり遂げようという意欲は、人から強制されて起きるものではなく、課題を乗り越えるチャンスを自分でみつけてこそ生じるものである、という言葉は重い。親は自分が意図する何かを強制するのではなく、子供がそのチャンスを見つける手助けをすればいいのではないか。

次回の記事:「井上尚弥のお父さんの教育がすごい#2

今回の記事:「井上尚弥のお父さんの教育がすごい」

参考文献:「努力は天才に勝る!」井上慎吾著