神童も二十歳過ぎればただの人なのか
神童とか天才と呼ばれる子どもたちがいる。
まわりから見ると、そのまぶしい才能ゆえに、彼(女)らの将来はとても明るい…と思いがちだが、「十で神童十五で才子二十過ぎればただの人」という言葉もある。この言葉は、もともと(神童に対する)まわりの期待が大きかったために、期待がしぼんでいく…という様を表しているのかもしれない。今回は、「神童も二十歳過ぎればただの人」について書いてみたい。
目次
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- 神童も二十歳過ぎればただの人とは
- 神童に見えるだけの子供がいる
- 才能と創造性は別の話になる
- 単に早熟なだけかも…
- 神童から転落する子供たち
- 評価のものさしが変容する
- 社会的に成功する確率は高い
- 神童も二十歳過ぎればただの人 - サマリー
神童も二十歳過ぎればただの人とは
「十で神童十五で才子二十過ぎればただの人」という言葉がある。
この言葉は、10歳でまわりから神童と呼ばれた子供が、15歳では才子(目立つ才能がある人)になり、20歳過ぎると平凡な人になる…という意味だ。
この言葉には、「抜きんでた才能を潰すな」という意味もあるのだろうし、「たとえ神童と呼ばれるほど評価が高くても、決して努力を怠るな」という戒めの意味もあるのだろうと思う。
さらには、才能は隠した方がいい…という意味もあるかもしれない。
たしかに、ある分野で神童と呼ばれた子どもたちが、その分野に興味を失くして別の道に進む…ということがある。そうなってしまうと、「平凡な人」に成り下がってしまうのだ。
神童に見えるだけの子供がいる
まわりから見ると「神童に見えるだけ」の子どもがいる。
驚異的な暗記力を武器にして、テストで良い成績を取る子供のことだ。
小学校では、先生の話や板書を暗記することで、高い成績を維持することができる。
算数にしても、(本質を理解していなくても)解法を片っ端から丸暗記すれば、テストで良い点を取ることができるのだ。小学生の時期は、丸暗記できるだけの「脳力」がある。なので、このようなことが可能になるのだ。
このタイプの頂点に位置するのが、「神童に見えるだけ」の子どもだ。記憶力だけでもオール5を取れたりするので、まわりから見ると「神童・天才ではないか」と思ってしまうのだ。
※年齢とともに記憶力が落ちると、メッキが剥げてくる。
才能と創造性は別の話になる
才能があれば創造的だ…と思うかもしれないが、才能と創造性は別物だ。
ずば抜けた才能を持つ子供には創造性もある…と思う背景には、生存バイアスの問題がある。
歴史に名を刻むような(創造的な)天才は、子供のころから優れた才能を発揮している。なので、短絡的に「すばらしい才能があれば創造的だ」と思ってしまうのだ。ただこれは、生存バイアスによるものであり、優れた才能を発揮している子供は創造的でもある…とはならないのだ。
※生存バイアスとは、脱落したもの(たとえば、燃え尽きたり、才能の伸びが止まった子供など)を評価することなく、生き残ったものだけを評価する…というバイアスのこと。
単に早熟なだけかも…
神童と呼ばれる子どもでも、単に早熟なだけ…という可能性がある。
大人顔負けの子ども…という表現があるが、ある分野で並の大人を上回るパフォーマンスを示す子供がいる。
しかしよく考えてみれば、美術や音楽において並の大人を上回る子供はたくさんいるし、大人よりも記憶力がいいとか、計算が早くできる…という子供もたくさんいる。
なので、教育次第で人工的な神童を作ることができるのかもしれない。
特別な教育(+物事を効率よく習得する才能)により、同年代の子どもより先に進んでいるだけであれば、神童という特別なメッキはそのうち剥がれるのだろうと思う。
神童から転落する子供たち
残念ながら、神童から転落する子供たちがいる。
数学の神童が数学に興味を失い、転落する…という例があれば、音楽の神童と呼ばれた子どもの内、有名な音楽家になったのは、1割未満だった…というデータもある。本物の神童であっても、自分の才能のある分野に興味を失う、または燃え尽きてしまう…ということがあるようだ。
※モチベーションや考え方の問題が大きい。
評価のものさしが変容する
評価のものさしが変容するため、二十歳過ぎればただの人になるのかもしれない。
子供のときの評価のものさしは、学校の成績だ。学校の成績が抜群に良く(オール5)、10歳ぐらいで中学生並の学力があれば、天才とか神童と呼ばれるかもしれない。15歳で同様の評価を得ようとすれば、良い学校で成績が抜群にいい(オール5)、高校生以上の学力が必要…と、ハードルが上がる。20歳で同様の評価を得ようとすれば、さらにハードルが上がるだろう。
※大人では、頭の良さ+創造性の有無がポイントになってくる。
社会的に成功する確率は高い
とは言え、「十で神童十五で才子」であれば、社会的に成功する確率は高い。
モーツアルトのように、神童から偉業を成す天才に羽ばたくグループを上位のグループとすれば、神童から転落するグループは下位のグループだ。多くの元神童は、この中間に位置する。彼(女)らは、医師や大学の教授、弁護士など社会的なステータスの高い職業について、活躍&成功する…というケースが多いのだ。※この場合、創造性の有無はさほど問題にならない。
神童も二十歳過ぎればただの人 - サマリー
まとめ
今回は、「神童も二十歳過ぎればただの人」について書いてみた。
ただの人になるかどうかは、創造性の有無がポイントなのかな…と思う。
たとえば、同じ医師であっても、創造性のある医師であれば、新しい術式を考案したり…ということになるのだろう。
将棋の棋士であれば、それまでにないような指し手や戦法を編み出したり、(医師もそうだが)トータルでこれまでにないようなずば抜けた成績を残したり…ということになるのだろう。
今回の記事:「神童も二十歳過ぎればただの人なのか」