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子供に対し「人に迷惑をかけるな」とするべきか

子供に対し、「人に迷惑をかけるな」と教育すべきだろうか。

それが日本固有の教育だとすると、何か理由があってそういう教育が普及したのだろう。だから、人に迷惑をかけるな…という教育は、(日本では)実践的に正しい…とした方がいいと思う。

ただし、単に「人に迷惑をかけるな」よりは、いい教育の仕方がある。

人に迷惑をかけるな

人に迷惑をかけないようにしなさい、という教育がある。

たしかに、(基本的には)人に迷惑をかけていいことはないだろう。

あなたが何か行動し、その行動が迷惑だと感じた他人は、あなたに対し悪い感情を抱く。その結果、あなたと距離を置いたり、最悪の場合は、あなたを「敵」とみなすようになることもある。

相手に悪い感情を持たせないという意味で、人に迷惑をかけるな、は有効だ。

迷惑をかけるという事実が

だが、どうしても人に迷惑をかけてしまう、という事実がある。

たとえば、子育てをしていると、子供の行動により迷惑が生じることがある。

公共の場で騒いだり、(まわりをよく確認しないため)ほかの人にぶつかりそうになったり、室内で騒ぎご近所の人に迷惑をかける…ということがある。親が注意しても防げないこともある。

※マンション住まいであれば、上室の子供のばたばた走る足音が迷惑になったりする。

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デメリットがある

消極的になる

人に迷惑をかけるな、という教育には、デメリットがある。

まず、子供が人の迷惑を気にするあまり、消極的になってしまう…ということだ。

いつも親が子に「人に迷惑をかけるな」というメッセージを発していると、そうなってしまう。

人は上位者に「~してはいけない」とされると、萎縮したり消極的になったりする。人に迷惑をかけることを怖れて、<お互いさま>の範疇にある行動でも、慎重になり躊躇するようになる。

迷惑をかけないようにするため、(余裕をみて)過度に慎重になってしまうのだ。

自己肯定できない

何か行動すると、他人に迷惑をかけてしまうことがある。

たとえば、自転車で歩道を走るだけでも、歩行者の迷惑になるかもしれない。

※自転車の通行が許される場合。

仕事でも、自分が下手に動くことで、同僚に迷惑をかけることがある。逆に、適切に動かないことで、迷惑をかけることもある。いずれにしても、人に迷惑をかけないというのは無理なことだ。

そういう自分の姿をみて、自己肯定できなくなる、ということがある。人に迷惑をかけてしまう自分はだめだ…ということだ。自分には存在価値がない、いない方がいい…と感じてしまうのだ。

人に迷惑をかけるなという教育で、自己肯定感を失うことは悲劇になる。

寛容でなくなる

他人の迷惑な行動に、人一倍怒りを感じるようになる。

なんでお前は人に平気で迷惑をかけるのか、と強く憤りを感じるようになるのだ。

人に迷惑をかけないようにせよ、という教育で育ち、そういう価値観を持てば、他人の迷惑な行動に強く不快感を感じるのは、当然の成り行きだ。他人の迷惑行為に対する感度が上がるためだ。

つまり、他人の行動に対し寛容でなくなる(イライラしがちになる)、ということだ。

他人にやさしくは

自分に厳しく他人にやさしく…は、なかなかむずかしい。

自分と他人で当てはめるスタンダードを(自分不利に)変える、というのはむずかしいのだ。

※自分に甘くする、ということは可能だが、その逆はとてもむずかしい。

たとえば職場で、他人にフリーライドし迷惑をかけている人をみるとイラつく。人の善意を利用して楽をしていると思いイラッとする。自分ができないという嫉妬の感情もイラッとする原因だ。

人に迷惑をかけるな、で育つと、他人にもそのスタンダードを強要したくなるのだ。

助けを求められない

他人に安易に助けを求められなくなる、ということもある。

人に助けを求める=人の迷惑になる、と思うので、安易に助けを求められなくなる。

その結果、最後まで助けを求められずに失敗したり、ぎりぎりになってからようやく助けを求め、人に、<より大きな迷惑>をかけてしまうことになる。どちらにしても、好ましくないことだ。

助けを求めるスキルを欠くことは、人生において大きな損失になる。

 

どうすればいいのか

過度に印象付けない

人に迷惑をかけてはいけない、と過度に印象付けないようにする。

具体的には、子供が迷惑な行動をするたびに繰り返し言わない、ということだ。

たとえば、夜遅くピアノを弾く子供に対しては、「人に迷惑がかかるからだめ」という言い方にかえて、「夜は静かに過ごすものだから控えてほしい」という言い方をすることができるだろう。

全く言ってはいけない、ということではなく、過度に言ってはいけないということだ。

迷惑以上に役に立つ

人に迷惑をかけてもいいが、そのかけた迷惑以上に役に立て…とする。

人に迷惑を与えることで自分の利益を生み出す、ということに理はない。

しかし、人に迷惑をかけるが、その迷惑以上のお返しをする、ということには理がある。お返しの対象が、迷惑をかけた人にはならない場合もあるが、社会にお返しができれば是とすればいい。

※必要な迷惑をかけること=社会の利益になる投資、だとすればいいのだ。

情けは人の為ならず

子供に、情けは人の為ならず、という考え方を教える。

人に親切にすれば(寛容になれば)、自分のためになるよ…という意味だ。

そうすることで、自分に厳しく他人にやさしく…を実践することができるようになる。人に迷惑をかけるな、で育ったとしても、この価値観を持っていれば、問題なくいい感じになるだろう。

※自分に厳しく他人にやさしく…を実践する効果的な方法のひとつだと思う。

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人に迷惑をかけるな - サマリー

まとめ

今回は、「人に迷惑をかけるな…とするべきか」というテーマで書いてみた。

人に迷惑をかけないように、という教育は間違っていない。否定することはない。

ただし、単なる「人に迷惑をかけるな」には、デメリットがある。それは、1)消極的になる、2)自己肯定できなくなる、3)寛容でなくなる、4)助けを求められなくなる、の4つだ。

このデメリットを考慮し子供には、

1)過度に「人に迷惑をかけるな!」としない、2)かけた迷惑以上に役に立て…とする、3)情けは人の為ならずを教える、とする。そうすれば、先に述べたデメリットは消えるだろう。

このほかにも、<お互いさま>の範疇に入ることについては、必ずしも迷惑ではない。相手が迷惑だと感じていなければ、必ずしも迷惑にはならない、ということを、教えてもいいだろう。

単に「人に迷惑をかけるな」では、逆効果になる可能性があるので注意したい。

今回の記事:「人に迷惑をかけるな…とするべきか」