子供の自尊心を高める方法
子供が自尊心を持つことができるかどうか…ということは、非常に大きな問題だ。
もし、子供時代に自尊心を育むことができなければ、そのことで一生苦しむことになるかもしれないのだ。
子供が自尊心を持つことができるかどうかは、子供と接する時間が一番長く、影響力も大きい、母親の肩にかかっている。母親の子育てに関する資質やスキルが、子供の一生を左右することになるのだ。
今回は、子供の自尊心を高める方法について書いてみたい。
目次
自尊心が低いと…
子供に限ることではないが、自尊心が低いとロクなことにならない。
自尊心が低いと、些細な事でも自分を否定されたと思って流せないでイライラしてしまう。感情のコントロールができないんですね
出典:キレる子どもの自尊心を高める方法とは?
自尊心が低いと、他人の自分に対する評価を「よりどころ」として生きることになる。
自分の軸を立てて自立するのではなく、他人の軸に依存して生きることになるのだ。
なので、このタイプの人は、自分に対する他者からの批判などに対し敏感になる。ホンの些細なことでも、流すことができず、激高したりするのだ。
面倒な人だ…という評価に
まわりからは、悪い意味でナイーブで面倒な人物だ、と認識されることになる。
私は自分が生きてきた過程や周りにいた人を振り返っても、『自尊心』こそ、あらゆる能力の基礎であり、幸せの土台であり、真の心の平和をもたらすものだと確信してやみません。
出典:自尊心を育む ~本当に幸せな子供を育てるために~
「自尊心」こそ、あらゆる能力の基礎であり、幸せの土台であり、真の心の平和をもたらすものだ…と聞くと、おおげさな表現だな…と感じるかもしれないが、この表現は核心をついている。
おおげさな表現だな…と一笑に付すことはできないのだ。
親がイライラしない
ここからは、子供の自尊心を高める方法について書いていく。
まず大事なのは、親がイライラしない(感情的にならない)ことだ。
私の育児のやり方が悪かったと思いますが、自尊心の低い子に育ってしまったように思います。周囲の人と比較したり傷つけるような叱り方をすることが多かったためだと思います。
出典:教えて!goo
子育てにおいて、イライラすることは誰にでもある。
人であるがゆえに、カッとすることもあるだろう。それ自体は、人としての自然なリアクションなので、ことさら責めるべきものではない。
問題は、その感情の処理の仕方だ。
感情的に叱らない
イライラしたり、カッとなることまではいい。
だが、その感情をそのまま子供に対し表現してはいけない。
具体的には、反射的に大声で子供を怒鳴りつける、といった行為だ(力でねじ伏せようとする行為)。これは、恐怖によるマネージメントの一種だ。恐怖によるマネージメントは、短期的には効果がある。親が子供を大声で怒鳴りつけると、子供は従うかもしれない。しかし、中長期の視点でみると、大きなマイナスになる行為なのだ。
※子供の心の中で、「傷」になる。
親から傷つけられた子供というのは、自尊心を持ちにくい。
たとえば、ペットに対し、感情的な叱責を続けていると、どこか卑屈で萎縮した感じになって行く。人よりも、心のメカニズムがシンプルで、記憶力も劣る動物でもそうなるのだ。なので、感情的な叱責が子供に与える影響は、大人が考えるよりも、はるかに大きいと思う。
もし、子供を感情的に叱りそうになったら、「子供の将来をダメにしてしまうのではないか…」と考えることだ。感情的に叱るという行為は、誰にでもできる、ものすごく簡単なことだ。安易な道に「いいことはない」と思った方がいいだろう。
※まずは、深呼吸をして落ち着きたい。
一方的に怒らない
一方的に怒らないことも大事だ。
兄弟げんかなどでは、現場を見ていないにもかかわらず、どちらかが正しい・間違っている、として、(間違っている、と思った方を)一方的に叱る、というケースが考えられる。
このケースでは、まず、「本当にその判断が正しいのか?」という問題がある。
正しい・間違っている、という判断を一概には下せない場合もあるし、その判断が間違っている場合もある。その場の正しい・間違っている、の判断が正しいとしても、過去に伏線がある場合もある。
なので、どちらかが正しい・間違っている、という判断は保留して、まず両者の話をよく聞くことだ。
お互いには、お互いの言い分がある。そして、それぞれが、親にはそれを理解してほしい、と考えている。したがって、たとえ三分の理であっても、それを理解しようとする姿勢が大事だ。
子供は、「親がわかってくれない」、「自分の考えを否定された」と感じると、自尊心を持つことが難しくなる。
もし、子供が「人格を否定された」とまで感じると、もはや自尊心を持つことはできない。つまり親は、自分の言動が子供に与える影響は、自身が思うより大きいと考え、子供に対し考えながら丁寧に接する必要があるのだ。
↓ 次回に続きます。